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もっちーの日記

横浜FC観戦記、MacやPCのこと、ままならない日々のことをつらつらと。

11日夕方から12日にかけて

こんなに怖いと感じた地震は初めてだった。
横浜の職場にて打ち合わせ中に大きな揺れを感じた。フロアは8階。立っていられないほどの揺れ。床に膝と手をつき様子をみる。かなり長く揺れ、収まってからも「ヤバい、ヤバい」と、みんないつもと違うのを感じていた。外を見ると、人が外に出てまわりを見回している姿が目に付く。高速では車が止まっていた。
携帯電話で顧客や自宅へ連絡を取るが、混み合っているのかなかなか通じない。ビルの館内放送で「地上へ非難するように」。エレベーターは停止。階段で8階から下りる。神戸の震災を経験したという方が発する言葉は重く聞こえ、緊張が高まる。壁にひび割れが走っている。
ビルの外にて待機。マフラーを巻くだけでコートは着ていなかったので、とても寒い。貴重品を持ってきていないことに気付き、自分が動転していることを自覚する。ビル前は人がいっぱいで、大きな余震のたびに小さく悲鳴をあげる女性たち。近くの公園へ避難する人も。Twitterで情報収集。携帯電話は通話はつながらない。ワンセグを見る人の顔が暗い。
15時過ぎ、何度目かで母の携帯電話につながった。友だちと遊びに出ていて、電車が止まり動けないとのこと。自宅にいるはずの妹とは連絡とれず。自宅周辺は大津波警報で避難勧告という情報もあって、所在がわからないのはとても不安。
ビル前では、そこかしこで緊張感のないおしゃべりが始まる。通行人にはおそらく学校を早退してきた小学生と親の姿。
一旦ビル内へ戻る。会社からは時間外勤務せず帰宅せよとのこと。災害伝言板で15時半頃の妹の書き込みを確認する。自宅周辺はやはり停電で、自宅で待機しているとのこと。
緊急時に備えてiPhoneを充電開始。UstreamでTBS公式放送を視聴する。津波。ビル倒壊。余震速報がひっきりなしに入る。
横須賀方面への電車は京急、JR横須賀線とも動かず。徒歩で帰宅できるものは引き上げていく。Googleマップで検索したら自宅までは徒歩で7時間かかり、自宅周辺は大規模な停電のもよう。歩いて帰ると到着は夜中の1、2時。自ら進んで遭難するのはまずかろうと自分は待機。窓の外では、自動車は渋滞、歩道は徒歩帰宅する人の群れ。
ビルのエレベーターが復旧。何人かが買出しに行く。全員がいっぺんに乗らずにリスク分散。自分はそんな気にならず自席でUstream。引き出しにはインスタントスープのみ。同僚にせんべいをもらって空腹をしのぐ。
電車は本日中の復旧はないとのこと。暗いなかの余震に配慮したんだろうか。泊まり確定。余震続く。めまいのようにゆるい横ゆれが多いように感じる。震源震度5や4といった、普段なら「余震」ではない震度。
副本部長が「これから徹マンだ」といって、雀荘に確認の電話を入れ連れ立って出て行った。会社の別棟でも飲み会をやってるらしい。自分はそんな気にはなれない。他部署には何人かいるようだあったが、視界に入る範囲では全員が帰宅して独りになった。23時、外からクラクションが聞こえる。どこかでサーバが再起動したらしく五月蝿いファンの音。Ustreamがつながりにくくなったのでニコ生に切り替える。
深夜1時、自宅付近の電気が回復したのをネットで知る。自宅へ電話するとすぐつながり、妹の無事を確認。合わせて母の状況も確認できたのでひと安心。その後すぐ、自宅近くにある顧客からもシステムの動作が戻ったとの電話をもらった。4時を過ぎた頃、体感できる余震も減ったように感じたので、ソファーで仮眠。
いつもと同じ7時少し前に起床。電車は復旧したようなので、ヒゲだけ簡単に剃ってから会社を出る。横浜駅の混雑はいつもの朝のラッシュと同程度で、人々はつとめて平静を装っているような雰囲気だった。
最寄り駅から歩いて帰宅。途中にはいくつか開いている店も。和菓子店でおにぎりを買う。帰宅すると母も少し前に帰宅していた。避難所の体験などを興奮気味に話す。自宅の被害は棚が倒れたり陶器が割れた程度だった。うちも普通に店を開けるという。
ざっと片付けを済ませ、近所のコンビニへ。食料品はほとんどなく、わずかに残ったなかからインスタントラーメンなどを買う。店員によると搬入予定も不明だという。
食事を取ると、突然眠くなったので仮眠。目覚めると自宅周辺は大津波警報区域だったのが津波注意報に変わっていた。